鰻飯《うなぎめし》の丼《どんぶり》

 下女が鰻飯《うなぎめし》の丼《どんぶり》を運び出す。方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。自分自分で考えることを考えているらしい。縛《いましめ》がまだ解けないのである。 幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

 純一が梯子段の処に立っていると、瀬戸が忙《いそが》しそうに傍へ来て問うのである。「君、もうすぐに帰るか」「帰る」「それじゃあ、僕は寄って行《い》く処があるから、失敬するよ」 門口《かどぐち》で別れて、瀬戸は神田の方へ行《ゆ》く。倶楽部へ来たときから、一しょに話していた男が、跡から足を早めて追っ駈けて行った。 純一が小川町《おがわまち》の方へ一人で歩き出すと、背後《うしろ》を大股《おおまた》に靴で歩いて来る人のあるのに気が附いた。振り返って見れば、さっき大村という名刺をくれた医科の学生であった。並ぶともなしに、純一の右側を歩きながら、こう云った。「君はどっちへ帰るのです」「谷中にいます」「瀬戸は君の親友ですか」「いいえ。親友というわけではないのですが、国で中学を一しょに遣ったものですから」 なんだか言いわけらしい返事である。血色の好《い》い、巌乗《がんじょう》な大村は、純一と歩度を合せる為めに、余程加減をして歩くらしいのである。小川町の通を須田町の方へ、二人は暫く無言で歩いている。 両側の店にはもう明りが附いている。少し風が出て、土埃《ほこり》を捲き上げる。看板ががたがた鳴る。天下堂の前の人道を歩きながら、大村が「電車ですか」と問うた。

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