長い間集めた物

 譬《たと》えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻《か》き交ぜられたような物である。それを元の通りにするのはむずかしい。いや、元の通りにしようなんぞとは思わない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は固《もと》より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。 純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹《そばだ》てると、丁度拊石がこう云っていた。「ゾラの Claude《クロオド》 は芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを藪睨《やぶにらみ》に睨んで、ブラントを諷刺だとさえ云ったものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示している。悉皆《しっかい》か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より出《い》でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の行《ゆ》く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉《じゅんぽう》する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言《いちげん》で云えば、Autonomie《オオトノミイ》 である。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」 拊石はこう云ってしまって、聴衆は結論だかなんだか分らずにいるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わっていた座布団の上に戻った。 あちこちに拍手するものがあったが、はたが応ぜないので、すぐに止《や》んでしまった。多数は演説が止んでもじっと考えている。一座は非常に静かである。 幹事が閉会を告げた。

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