梯子《はしご》の下まで来て待っていた

 梯子《はしご》の下まで来て待っていた純一は、すぐに上がって来た。そして来客のあるのを見て、少し隔った処から大石に辞儀をして控えている。急いで歩いて来たので、少し赤みを帯びている顔から、曇のない黒い瞳が、珍らしい外の世界を覗いている。大石はこの瞳の光を自分の顔に注がれたとき、自分の顔の覚えず霽《はれ》やかになるのを感じた。そして熱心に自分の顔を見詰めている近藤にこう云った。「僕の書く人物に就いて言われるだけの事は、僕は小説で言っている。その外に何があるもんかね。僕はこの頃長い論文なんかは面倒だから読まないが、一体僕の書く人物がどうだと云っているかね」 始めて少し内容のあるような事を言った。それに批評家が何と云っていると云うことを、向うに話させれば、勢《いきおい》その通だとか、そうではないとか云わなくてはならなくなる。今来た少年の、無垢《むく》の自然をそのままのような目附を見て、ふいと※[#「革+橿のつくり」、第3水準1-93-81]《たづな》が緩んだなと、大石は気が附いたが、既に遅かった。「批評家は大体こう云うのです。先生のお書になるものは真の告白だ。ああ云う告白をなさる厳粛な態度に服する。Aurelius《オオレリアス》 Augustinus《オオガスチヌス》 だとか、Jean《ジャン》 Jaques《ジャック》 Rousseau《ルソオ》 だとか云うような、昔の人の取った態度のようだと云うのです」「難有《ありがた》いわけだね。僕は今の先生方の論文も面倒だから読まないが、昔の人の書いたものも面倒だから読まない。しかし聖 Augustinus《オオガスチヌス》 は若い時に乱行を遣って、基督《クリスト》教に這入ってから、態度を一変してしまって、fanatic《ファナチック》 な坊さんになって懺悔《ざんげ》をしたのだそうだ。Rousseau《ルソオ》 は妻と名の附かない女と一しょにいて、子が出来たところで、育て方に困って、孤児院へ入れたりなんぞしたことを懺悔したが、生れつき馬鹿に堅い男で、伊太利《イタリイ》の公使館にいた時、すばらしい別品《べっぴん》の処へ連れて行《い》かれたのに、顫え上ってどうもすることが出来なかったというじゃあないか。僕の書いている人物はだらしのない事を遣っている。地獄を買っている。あれがそんなにえらいと云うのかね」「ええ。それがえらいと云うのです。地獄はみんなが買います。地獄を買っていて、己《おれ》は地獄を買っていると自省する態度が、厳粛だと云うのです」

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